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2年間の苦しんだ重度の皮膚病が完治した

2年間の苦しんだ重度の皮膚病が完治した

運命を変える
自然治癒との出会い…

ある日、お風呂でシャワーを浴びている時に
またあの強烈な痒みに襲われました。

私は掻くことで症状が悪化する事は理解していました。

そして偶然、熱湯レベルのシャワーを患部に
当てることで強烈な痒みが軽減する事を覚えました。

ジーンとしてとても気持ちが良かったのです。

そして熱くて我慢できなくなれば冷水に切り替える
というパターンを交互に繰り返しました。

次第にそれが快感に変わりクセになりました。

それから何と1週間後に、2年間も苦しんだ
重度の皮膚病が綺麗に消えてしまったのです。

本当に驚愕でした。

理由はよくわかりませんでした。

私の母親も、

「どうしたの?」
「いったい何をやったの?」

と驚いていたのを強く記憶しています。

現代医学の固定概念

そして医者には「有り得ない!」と無視されました。

この事件をきっかけに、医師すら知らない医学の知識、
まだ世間に出回っていない健康法など様々な病気を
治癒する未知の方法が世の中にはまだあるのではないか?

そう強く思うようになりました。

2年間の苦しんだ重度の皮膚病が完治したのを
掛かりつけのお医者さんに見せると、

「そんなの有り得ない!」

「絶対に治るはずがない!」

の一点張りで完全に無視されました。

心に芽生えた不信感…
幕を開けた健康学の探求

目の前に治った実例があるのにも関わらず
真っ向から否定されたのです。

この瞬間、子どもながら西洋医学への違和感や
医者への不信感が芽生え始めました。

そして10歳の頃から難しい医学書を読み始めたのです。

小学生時代に解剖学と生理学に没頭しました。

周りでは友達と遊びほうけている子供達を
尻目に私は医学に深くのめり込んでいきました。

そして私の関心は同時に医療や健康と深く
繋がった『ある』ものへと動いていきます。

愛読書はグレイの解剖学…
趣味は『バーベル挙げ』

幼少期の私はとにかく引越しを繰り返していました。

転校するのが当たり前の生活でした。

転校生はイジメの対象になりやすく、
ナメられて喧嘩を吹っかけられたり
足を引っ掛けられたりしていました。

イジメっ子に舐められたくない、という思いで
筋力トレーニングをするようになりました。

単純に身体を動かすというレベルではなく
平行して専門書を読みながらトレーニングの
深い知識もつけていきました。

この時期に初めてバニラ味のプロテイン
買ったのを覚えています。

他の小学生がコーラやポテトチップスや
チョコレートに興味を示す頃に私は
プロテインを飲んでいました。

プロテインを愛飲する
奇妙な小学生…

それから筋肉も付いてきてケンカにも
負けなくなりました。

そして何よりも..

体を鍛える事で病気になる回数がみるみる減ってきたのです。

それまでは「どうしたら病気を治せるかな」と考えていたのが
「ああ、体を鍛えて健康になれば病気にならないんだな」と
シンプルなパラダイムシフトが起こったのです。

この頃になると栄養学の勉強もかなり深く
進んでおり、様々なことが繋がって
私の中でひとつの答えが出始めていました。
(とは言っても当時12歳ぐらいです)

健康に気を配って運動もしっかりと行えば
病気にならない肉体を手に入れられると
確信したのです。

健康になりさえすれば、結果的に病院に行く
必要がなくなるというシンプルな事実に
気がつき始めました。

健康になれば病気も治る

13歳になるとジムで身体を鍛えながら
パーソナルトレーナーという筋力運動を
教える仕事をスタートしました。

教えると言っても私は中学生の年齢でしたので
ジムでトレーニングをしている大人に、

「これ、やり方を教えてあげようか?」

と話しかけて勝手にアドバイスしていた
感じです。

根っから教え好きの性格なので、子供の頃から常に
誰かれ構わず何かを教えていた感じです。

そこでお礼としてお小遣いを貰えるようになり
自然と人が集まって来るようになりました。

するとここでまた新たな転機が訪れるのです。

台湾人のお婆ちゃんの一言

ジムで教えていたクライアントの一人に台湾人の
若い男性がいました。

彼自身は、単純に筋肉を付けて脂肪を減らしたい、
という希望でしたので、週3回トレーニングを
教えてあげていました。

が、彼のお婆ちゃんの膝が痛くて困っているので
一度診てあげて欲しいと頼まれたのです。

私は、彼のお婆ちゃんの自宅に行き、運動療法
サプリメントのアドバイスをしてあげました。

するとお婆ちゃんは私にこう言いました。

「坊やは将来、優れたお医者さんになるよ。」

と私の的確な診断力を褒めてくれたのです。

当時はお医者さんになる気も予定も無かったのですが、
それまで感じた事が無かった感情が湧き出たのを
今でも覚えています。

坊やはお医者さんになりなさい

その台湾人のお婆さんの相談に乗る代わりに
週に何回か晩ご飯をごちそうになっていました。

おいしい台湾料理だったので本当に嬉しかったです。

そのお婆さんの家(かなり豪邸)には北京から留学していた
中医師(中国医学博士)も部屋を借りて住んでいました。

その彼も一緒に晩ご飯を食べていたのですが、
東洋医学の基本を教えてもらったり、統合的な物事の捉え方なども
教わるようになりました。

そんな食事の席で、そのお婆さんは私にいつも
『坊やはお医者さんになりなさい。きっとうまくいく。』
と私を褒めてくれました。

それを期にトレーニング以外のことまで
他のクライアントさん達にアドバイスするように
なったのです。

「胃酸が出すぎてここが痛いから、
 こういう時はどうしたら良いんだ?」

という風に他の健康面のことまでを
相談してくるオジさんや、その他にも
比較的、小さな病気の相談なども増えてきました。

そんな生活を続けて数年が経過しました。

当時、私には恋人がいました。

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