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「またお前か、いい加減にしろ」

退職金の税金

 

自分がボスなので自由に
退職金の金額を確定
できてしまうのです。

もちろん、退職金を取らない選択もできるのですが、

『無税』

なので、ほとんどの人は退職金を取ります。

なので、給料を少なくしておいて
とはいえ、1,000万円とか2,000万円のレベルですが、
最終的に会社に貯金をしておき、
辞めるときにドンと自分がいただくことができます。

サラリーマンは貯金を奥さんが
全て握ってるので、理解できない人も多いと思います。

起業家は会社に貯金するのです。

内部留保といって、
会社の儲かったお金は、半分、税金で取られますから、
その半分、残ったものをコツコツ積み上げていきます。

赤字が出ない限り、
そのお金は絶対に減らないのです。

それが例えば、10年、20年、30年と続いていきますと
ものすごい金額に膨れ上がります。

私の場合、エルハウスを始めてから
16年が経ちましたが、いま退職金を下さいと言えば、

3億円もの退職金
がもらえる計算です。

ジャンボ宝くじみたいな金額ですが
実際にもらえるのです。

友人の廣田さんの場合、退職金が7億円もらえるので、
年末ジャンボより高い金額になり、恐ろしい世界です。

しかし、そういうのを信じられない人もいると思います。

ただ、そんな金額の退職金を得ると
世間に公言すると危険が及ぶので、
単に隠しているだけだと思うのです。

サラリーマンは毎年、年末ジャンボに並んでいますが、
起業家は確実に当たる年末ジャンボを手に入れてます。

ただ、7億円ともなると使い道に困るので、
少な目に設定することもできますが、
儲かる会社を続けていくと、会社の価値が上がるので、
それだけの退職金を強制的にもらわなくてはいいけなくなります。

つまり、

強制的に金持ちになる
のです。

もしくは、退職する時期が近づいてきたら、
どんどん経費で使うことも可能になります。

65歳から1億円あれば悠々自適な生活ができますので、
残りの2億円は全部使う!という感じです。

領収書さえあれば、すごい美人の人とかに
2億円を使ってしまうのも可能になります。

若い女性が好みなら
18歳はマズイと思いますが、22歳とかですと最高です。
30歳を過ぎると、肌を指で押すと戻ってこない感じがありますが、
22歳を過ぎると、01秒でパッと戻ります。

じゃあ、どのくらいの会社の規模にすれば
年収1,000万円で退職金を1億円もらえたりするのかと言うのなら、

年商で7億円から、10億円ぐらいの企業

を作れば自分の給料として、
3,000万円から4,000万円はもらえますし、
経費として、女性にも月に2、300万円ほどは使えます。

30年くらい会社を続ければ
退職金が2億円くらいもらえると思います。

実際、私は35年続けてますが
4億円もらえる予定なのです。

20年で退職金1億円は「簡単」と考えてます。

そして、

年商7億円や10億円の会社は
頑張れば誰でも立ち上げ可能
学歴なんかいりませんし、むしろ邪魔になりますし、
バカっぽいと言われる方が、まだましです。

私の周りでも優秀な大学を出て
稼いでいる人は知らないです。

人脈も必要ありません、私は友達もいないくらいです。

親も関係ないですし、顔も関係ありません、
身長が小さくても、アソコが小さくてもお金が解決をします。

そして、ものすごく頑張れば2年で
年商10億円の会社を作ることもでき
普通は3年で年商5億円、7年で7億円から10億円の会社を
作ることは誰にでもできるのです。

例え、怠け癖があったとしても、
5年で年商5億円は十分可能です。

私の場合は元々才能があったとか、資金があったとか、
景気が良かったとか色々言われる人も多いとのですが、
財産や才能があった訳ではなく、
学歴も全然ないし、子供時代には悲惨な目に遭いすぎて
貧乏で小学校2年生以下の記憶がないという状況です。

保育園に入った記憶もなければ、
入学式に行った記憶もなにもなく、
母親にそのことを聞いてみたとき、

「それは、人に言えないような惨めな思いをしたから、
自分で記憶を消しちゃったんじゃないの?」

と、言われたこともあります。

小さい頃は貧しくて、お金がなく
あまり働かいない親でしたので、
母親がアルバイトみたいなことをして家系を支えていました。

着る服も2着しか持ってなくて、
だから、小学校の頃の身体検査で服を脱ぐことが凄く嫌で、

家にお風呂がなく
絶えず身体が垢まみれ
でしたから。

パンツも1枚しか持ってなくて、
いつも真っ黄で身体検査のとき全部脱ぐと身体が黒いです。
それで、パンツが黄色いのです。

子供は冷たいので女の子とから
さんざん軽蔑されたり、パンツをペロッと脱がされたりして
イジメられた経験があるのです。

当然、家は無く借家でしたから、
四畳半以上の家に住んだことがなく家族3人で住んでいて、
父親は小学校4年のときに蒸発して
母親に育ててもらっていました。

もちろん、母親1人なので、いい家など借りられる訳もなく、
アパートではなく、長屋とか屋根裏とかを借りていました。

友達に「どこに住んでいるの?」と
聞かれても家を言うことができず、

学校のすぐ近くに住んでいたけども
いつも1キロとか遠回りをして、友達をまいてから家に帰る
ということを、毎回していました。

屋根裏部屋に住んでいたときには、
屋根が隙間だらけで、雨や雪は降ってくるし、
窓なんか当然ビニールで貼ったような窓で寒くて仕方がない。

頭をたまに洗うとシラミやノミが、
ピョンピョンしているような感じで
冬に頭を洗うと、頭が凍るのです。

氷みたいにカチカチに凍るので、
凍ったまま寝るという感じでした。

そして、寝ていると上からネズミのフンが落ちてくる感じです。

寝ると、ガサガサという音が絶えずしていて眠ることができず
寒いので3人で川の字で抱き合って寝ていたのを覚えています。

布団なんかは当然ありませんので、
自分たちの服を着て、着たまま寝ていたという記憶もあります。

毎日、同じ服を着ていますので、

学校に行けば汚物と呼ばれ
陰湿なイジメの連続
という感じでした。

家賃が払えなくなるので引越して
リアカーを借りてきて、少ない荷物を積んで転々としてました。

母親がリアカーを引いて、
兄が後ろから押して、私は、まだ小さいので、
その上に乗って楽しくやっている感じです。

当然、お小遣いなんかもらうこともないし、
食べるものがそもそもありません。

近くの畑に行き、人参やきゅうりを
生のまま盗んできては、それをガリガリかじるという生活です。

それでも足りないので万引きをして
捕まったこともありますし、文房具屋で万引きをしてしまい、
捕まってボコボコに殴られていました。

「母親を連れて来い」

と言われるけれども、

「母親なんかいない」

と言い張り、ただ殴られて警察に行き、

「もう許してやりなよ」

と言われていました。

学校にいくときには、いつも青アザだらけで行くので、
また、バカにされ盗んだろと言われボコボコにされる。

また、家計を助けなければいけないので
小学校3年くらいからは新聞配達とか牛乳配達とかの、
アルバイトをしていましたが、大きくなるのに従い、

さらにアルバイト代が高い土方になったり
そういうことをしていました。

なので、小学校3年生から高校を出るまで
毎日アルバイトという感じで、
兄弟で家計を支えていました。

それから、
専門学校に進学することになるのですが、
専門学校に進学する際には入学金とかが必要になるので、
その頃、母親がお世話になっている社長に
お金を出してもらい専門学校に行きました。

結局はその会社に勤めることになりますが、
学生時代もアルバイトの毎日で仕送りなどはありません。

アパートも借りたのですが、
月8,000円くらいのところで

24時間365日、
暗闇の世界の中での生活
という感じなのです。

お風呂もないし、トイレも無い感じで、
どちらも銭湯で済ませてこいという感じです。

立ちションか銭湯かという、
凄いところでしたけれども、
そこに住むには無理と思い、高いアルバイトばかり行くのですが、
とにかく大変な仕事ばかり。

空港の積み込みとか、ガードマンとか、
24時間勤務を3連チャンとか、そういうところばかり行きました。

最後は焼き鳥屋に勤めて、
そこの店長みたいになり、
そこの会社を運営するみたいなこともやっていました。

なので、学校に行くかアルバイトをしているかという感じなので
1日3時間以上寝たということは、まず記憶にないです。

小さいころも、毎日アルバイトばかりしていましたので、
いつも眠りたいというのが凄くありました。

それから、学校を出て就職する訳なのですが
山奥のダムに派遣をされたのです。

なかなか街に降りることができず、
飯場というものがあり、職員や土方の人も、一緒に暮らすのです。

食事や、まかないはおばちゃんが作ってくれたりするんですけど、
そこで働いている土方の人たちは
ヤクザもんとか、借金が返せなくて送られてきた人たちなので、
荒くれ者たちばかりな訳なのです。

で、私は新入社員なので、
そういう人たちの担当みたいな感じで殴られる蹴られる刺される
というのが日常茶飯事です。

一度逆らったことありますが

セメントの中に漬け込まれる
ことがあり、

マンホールの中にドボンと入れられ
そこにセメントを流し込まれて、

「お前を殺してやる」

と何度も言われた経験があります。

ただ、だんだん鍛えられていき、
徐々に仕事を覚えていきました。

要領もだんだん良くなり、おべんちゃらも言えるようになってきて
最後は仲良くなり卒業しました。

それから、専門学校にお金を出してくれた
社長の会社に入社するのですが、

『超ブラック企業

みたいな、過酷な会社でした。

朝の7時から夜の9時までが出勤時間で、
つまり、朝6時半頃に家を出る必要があり
休みは当然1ヶ月に2回位しかありません。

その2回も、24時間、365日、働けという会社でしたので、
お客さんのクレームが来ると飛んでいかなくてはいけません。

それですぐに飛んでいくので、
休みはまずありませんでした。

3ヶ月でもの凄い工事をやる、突貫工事というものもあり、
その期間は

3ヶ月も連日連夜
毎日20時間の強制労働
で朝6時から夜2時まで仕事です。

しかも、建設会社なので、所長さんの言うことは絶対です。

なので、当時の所長はマージャンが大好きで
睡眠時間が4時間しかないのに
仕事が終わるとマージャンです。

付き合わないと、さらに過酷な仕事をさせられますので、
やるんですが弱いから負けます。

なので、どんどん借金になるし、
借金を返す為に、他のアルバイトをすることになります。

その頃には施工図を書く仕事をやっていて、
1枚書くと1万円もらえます。

他の会社に行って、アルバイトでもらって、
そのお金でマージャンで負けたお金を返すような感じです。

逆らうと、殴られるか、過酷な仕事が待っていますので、
逆らうことができず、ずっとそんな仕事ばかりしてました。

それで、20年間、勤めましたが
最後は倒産をしてしまいました。

その際に保証人になれと迫られ、
社長にすごく世話になってたので
連帯保証人の印鑑を押しました。

その金額が1億円で、
その1億円を返すために起業しました。

それから3年くらいで返済しようと必死で働き
サラリーマン時代と同じく休みがないのです。

働いてからも今度は休みがなく、
さらに過酷になり、借金取りは来るわ、毎月返済が迫るわで
精神的に追い詰められてきて、

1年で恐らく5回ほど
救急車で運ばれました。
働いている間に目がまわり、
真っ白になりピーポーピーポーと諏訪中央病院に送られます。

とにかく送られてばかりで、
ついにブラックリスト入り。

「またお前か、いい加減にしろ」

と言われるものの、また倒れると
救急車を呼んで行くのです。

なので、3年間で何回、行ったか覚えていない感じですし、
セミナーをやっていたので、
お客さんがいると行かなければならないのです。

でも、その前の日に倒れて、往診が来たりして、
注射を打ち、点滴を打ち、それを抱えたままセミナーに行く
ということなどもありました。

そういう生活を続けてました。

1億円を返済していくときに
実際にあった事件なんですが、

前に務めていた会社の社長が、

「お前がそんなにうまくいくわけがない」
「お前にそんな才能はないんだから、絶対におかしい」
「お前、おれの会社で横領をしただろう」

と言われたのですが、
当然、私はそんなことをした覚えはありません。

「いや、していません!」

と反論しても、

「嘘を言うな!」

とその会社の社長に呼ばれて家に連れ込まれて、

「お前を殺してやる!」

と、

「またお前か、いい加減にしろ」
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